わかりにくいものは流行らない、と云う話
お晩です、よつうち(仮)です。
今日ふとサカナクションの山口さんのインタビュー動画を見ました(下記参照)。
www.youtube.com
この動画の中で、山口さんが「自分が子供の頃は探す遊びが多かったけど、東京という街では浴びる遊びをしている人がすごく多くて驚いた」という趣旨の話をされているのですが、これはかなり示唆に富んだ話だと感じました。
実際にYouTube等においてコンテンツ作りをするときには、「わかりやすさ」という軸が発想の3−5割くらいを占めることが多いのです。極端な話、テロップなどの編集を駆使して思考停止しても見れるもの、を目指すというイメージです。
これはけしてユーザーを低く見ているわけではなく、現在の情報過多な状態において「わかりにくい」というだけで圧倒的に競争優位性を失うというというのが大きな理由です。
インターネット黎明期、また動画黎明期には私を含め多くのユーザーが血眼になって面白いものを探していました、そしてそれぞれが「楽しみ方」を探していました。テキストサイトなるものが流行ったときに先輩が自作のサイトを作って見せてくれたときの衝撃、そしてあこがれから自分もテキストサイトを作り周りに自慢したことを今でも覚えています。(当時のサイト名は「茶うめぇ」でした)
話を戻しますが、現代のようにコンテンツに溢れた時代では、探す遊びをしている時間などユーザーにはないのです。目端にかかる「面白そうなもの」を追いかけるだけでも24時間は短すぎます。故に、最初の消費しやすい、わかりやすいコンテンツを作ることにクリエイター側も心を砕く流れになっています。
理由をうまく説明できないのですが、私はこの状況があまり好きではないんですよね。
親切すぎやしないかなぁ、と漠然と不安になるのです。コンテンツを受け取る側としても物量に負けてピヨった状態でフォアグラになるガチョウのように口に突っ込まれる情報をただ消費するだけだとなんとも悔しいのですよ。
なので、いつか、すごくわかりにくいものが流行って、それをかっこいいと思いたいなぁって思っています。
第二回目から予想以上にとりとめもないどうでもいい文章になってしまいました。
それでは、おやすみなさい。
今日の一曲 サカナクション / ホーリーダンス